ロングテール
今更ですが先ほどクリス・アンダーソンの『ロングテール』を読み終わりました。ベストセラーになっているだけあって得るところが大きいですね。前半の「流通コストがゼロになることによるビジネス形態の変化」は既に知っている内容でしたが、後半の「アマチュアによる生産」のところはいくつか新しい発見がありました。
なぜ彼らは今後の商売にするつもりもなく、一度の報酬すら期待せずに、金になるはずの仕事(百科事典の記事作成や天文観測など)をおこなうのだろうか。この疑問はロングテールを理解するうえで重要だ。なぜ重要かといえば、テールの中に営利目的ではないものがけっこうあるからでもあるが、もっと大事な理由がある。この疑問からは、市場に関して僕たちが考え直すべき思い込みが浮かび上がってくるのだ。今後思い込みをなくして、ヘッドとテールではものづくりの動機が違うという事実をしらなくてはならない。一つの経済モデルがすべてに当てはまるわけではないのだ。あるいはロングテールのヘッドは旧来の貨幣経済ではじまり、テールは非貨幣経済で終わると考えてもいい。その中間は、両者が混在した状態だ。
ロングテールのテールのほうではプロよりもアマチュアの比率が高くなってきます。考えてみれば当然のことなのですが、この視点は見落としていました。ロングテールは単に商品の売り上げ分布を表したものではなく、他のあらゆる物事に見られる現象なんですね。ここは非常に面白いです。
もう一つ考えさせられたのはこちら。
文化が細分化されるのはいいことなのか悪いことなのか。大衆文化がある意味で人間関係の接点となり、社会にまとまりを与えると信じている人は多い。もしそれぞれが独自に行動しはじめたら、共通文化がなくなるのではないだろうか。隣人同士、ちゃんと足並みがそろうのか。
ロングテール化が進むと文化の細分化が起こって社会がまとまらなくなるのでは? という心配が出てくるわけですが、この点にも著者はふれています。
そもそも専門家や組織が流す狭い範囲の情報ばかり鵜呑みにする社会より、自ら問いかけをしてその答えを出せる社会のほうが健康だ。プロが参加しているからといって正当性があるとはもう言えない以上、僕たちは独自の品質基準をつくっていく必要がある。これは自己を省みることにもつながるだろう。
(中略)
主流の文化組織が衰退すると、同じ意見を持つ人々の間で閉じこもる人も出てくるかもしれないが、情報源をふんだんに得た人間は好奇心を増すものだ。結果として大半の人々は視野を広げ、狭くすることはないのではないか。
以前ほど「共通のもの」は無くなってしまうけど、それでも多様性があったほうが健全でしょ? それに井戸端会議がなくなったわけじゃない。ネット上に移動しただけだよ。と著者は指摘していました。
ここは僕もちょっと気になっていたんですよ。インターネットが普及して価値観が多様化してきたけど、これは本当に大丈夫なのかな? 何か問題を孕んでいるのでは? と考えることもあったのですが、実際のところ杞憂だったようですね。みんなが同じものを見聞きすることは少なくなってきたけれど、その分これまで知らなかった他人とつながる機会が増えてきています。ロングテールによって知識と好奇心は増える方向にあるのだから、トータルで見たらつながり自体の総量は増えているのかもしれません。
なかなか面白い本でした。翻訳も素直でかなり読みやすかったです。ある程度飛ばしながらでも読めるので2時間ぐらいあれば十分じゃないでしょうか。